HISTORY
沿革

私たち、日本用品株式会社は、1951年に創業者である佐藤友美が、戦後の東京でアメリカ軍の残した寝袋などを、アウトドアレジャー向けに販売したことから始まりました。
以来、当時は画期的だった海外ブランドのギアを直輸入しユーザーに届ける「流通直結システム」、世界的登山家ラインホルト・メスナーとの出会いから始まった「MESSNERテント」、イタリアのアウトドアブランド「LA SPORTIVA」とのパートナーシップなど、私たちは常に世界中の「本物」を届けることにこだわってきました。

1951

日本用品株式会社 創業 1951

東京・秋葉原にアウトドア用品専門店「ニッピン」を開業。
創業者・佐藤友美が戦後の東京で、アメリカ軍が残した寝袋や、大きな軍靴を日本人向けの大きさに加工したトレッキングシューズなどを、アウトドアレジャー向けに販売する事業をスタート。

1953

「WIDEザック」発表 1953

アウトドアでは縦長のリュックサックが主流だった時代。あまり使われない上部のスペースを省き、横に長い形状に変更。
ニッピン、最初のオリジナルヒット商品に。

1969

「LA SPORTIVA」とのパートナーシップ開始 1969

スイスの見本市にて、イタリアのアウトドアブランド、LA SPORTIVA社との取引がスタート。創業者・佐藤友美は他ブランドにないデザイン性の高さに惹かれ、以来50年以上続くパートナーシップはこの時から始まった。

弊社との長いパートナーシップを讃え、LA SPORTIVA社から送られた盾

1970

ニッピン、錦糸町店、高田馬場店、秋葉原本店パート2、神田小川町店と都内で店舗を拡大1970-80

1975

ラインホルト・メスナーとの出会い 1975

ドイツ・ミュンヘンのアウトドア見本市会場で、当時・無酸素登頂で売り出し中だった新進気鋭のイタリア人登山家・ラインホルトメスナーと出会い、アドバイザー契約を結ぶ。アルピニズムの中心はヨーロッパと考えられていたなか、世界的な登山家と日本企業の契約は異例だった。

(左)ラインホルト・メスナーと契約の握手を交わす、弊社二代目社長・佐藤友行
(右)来日時には「ニッピン」本社での製品開発の打ち合わせを行なった

1980

「MESSNER テント」デビュー 1980

メスナーの要望を取り入れ完成した完全オリジナルの「MESSNER テント」デビュー。
人類初のエベレスト無酸素単独登頂をサポート。以来、メスナーは「MESSNERテント」と共に、人類史上初の8000メートル峰全14座完全登頂の成功などの偉業を成し遂げた。

1980年「MESSNERテント」デビュー。エベレスト無酸素登頂をサポート

2013

スポルティバジャパン設立 2013

日本用品関連会社として、LA SPORTIVA社の日本総代理店を設立。

2017

ニッピン秋葉原本店 閉店 2017

2020

ニッピン神田店 閉店 2020

2022

東京都台東区北上野にオフィス移転 2022

かつての社員寮だった自社ビルをリノベーションし、ショールーム、イベントスペースを併設し、ユーザーや販売店との交流の場に。

2023

日本用品株式会社とスポルティバジャパンが吸収合併 2023

「本物を伝える、本物とつなぐ」を企業理念に、新たなスタートを切る。